とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

朝の連続ドラマ

朝の連続ドラマと言えば、全世界的に有名になったNHKの「おしん」があります。

おしん」が流行っていたときは全く見ていません。
何度も再放送がされていたように記憶しています。
その後ようやく見るようになったドラマは本当に最近なのです。
一番感動してしまったのが「てっぱん」です。
広島のお好み焼き屋のお話です。
何に感動したかほとんど忘れてしまっていますが、とにかく出演者が皆菩薩様のように慈悲深いのです。
あり得ない設定が多かったのですがドラマとはそういうものなのでしょう。
今は「ひよっこ」が9月までやる予定です。
このドラマはちょうど団塊の世代のドラマです。戦後復興から高度成長期にかけて日本が飛躍していく時代は見ていて面白いです。視聴率も結構高いようです。


それにしても、なぜこんな朝ドラに自分の心が反応しているのか、「お前、暇だろ。」と内なる声が聞こえますがやはり見てしまいます。
実話であれフィクションであれ、しばらくの間別の世界に浸ることが出来る点に於いては映画と同じかもしれません。
それでも「ひよっこ」は見ていて楽しいので許します。


しかし個人的感想で「しょうもない」テレビ番組は沢山あります。
最近は見ていませんが「サンデーモーニング」という番組もそう思います。
あの番組を見ているとせっかくの日曜日が朝から気分悪くなってしまいます。
いろいろ問題があるのでこれ以上書きませんが、テレビを見ているときの人間の脳はほとんど停止しているそうです。クイズ番組でも同じだそうです。
テレビを見て喜んでいても怒っていても同じとはちょっと不思議です。
北品川病院院長 築山節医師は、テレビをだらだら見るのとネットサーフィンは同じように「脳が働いていない」と言います。
これは昔流行った「一億総白痴化」(社会評論家の故・大宅壮一さんの言葉)を証明していると思います。「テレビばかり見ていると、人間の想像力や思想力が低下してしまう」という意味ですがその通りです。
ラジオは良いそうです。特に落語などは想像力を働かせるのでラジオを聞きながら仕事をするのは良さそうです。
まあ、それでも本当に大事なことを考えるときは雑音となるかもしれませんね。


それではご法話はどうでしょうか。
聞いていると嫌になってきて止めてしまうことがありませんか。
もういいやと思ってしまったり、だいたい分かったと思っていませんか。
自分がそうだから人も同じと思っているのではないかと思われるかもしれませんが、他の人と話をしていても内心はそう思ってしまう自分があることに気がつかせられます。
嫌いなんですね。
仏教の話は。
自分と向き合いたくないのが本音かもしれません。どこどこまでも自分勝手な聞き方しか出来ないのかもしれません。


「一句一言を聴聞するとも、ただ、得手に法をきくなり。ただ、よく聞き、心中のとおり、同行にあい談合すべきことなり」と云々


現代語訳「わずか一句の御教化、一言の御言葉を聴聞するにも、とかく人はただ自分に都合のよいように聞くものである。それゆえ、いちずによく聞き、聞いて心に受け取ったままを申し述べて、仲間と互いに話し合うべきである」(蓮如上人御一代記聞書)

この条と同じ内容のことが119条にあります。

 

「前々住上人、御法談已後、仰せられ候う。四五人のご兄弟へ仰せられ候う。「四五人の衆、寄り合い談合せよ、必ず、五人は五人ながら、意巧にきく物なり。能く能く談合すべき」の由、仰せられ候。」

 

こういうことです。自分勝手に聞いてしまうのでお同行とお話しすることが大事ですよと言われています。
テレビの朝ドラは喜んでみるのに、仏法は本当に聞くのが大変ですね。
良い意味での談合をお同行とするべきでしょう。

 

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