今月9日に嶋田久義さんが亡くなりました。大変残念に思います。
役割を終えてお浄土へ帰って行かれました。
最後は「何も思い残すことは無い」と言われたそうです。
この世に生まれたからには必ず死なねばならないのが定めです。
だからこそ何のために生まれてきたのか、何をすべきなのか非常に大事なこととなります。
私の知り合いがガンの手術を終えて復帰し、暫くして一緒に食事をしたときに「人生に思い残すことはないか」と聞かれたときがありました。
すでに阿弥陀様のご縁に遇わせていただいていたので「何も無い」と言い切ってしまって、「しまった」と思ったことがあります。
仏法者同士なら問題ないですが、世間一般の人との会話ではちょっと相手との関係を悪くしてしまう可能性があります。
それでもうまく会話がつながっているときなら良いのですが、唐突にこの言葉を聞くと迷ってしまう人がほとんどかもしれません。
その後、しばらくしてその知り合いは亡くなり私の「しまった」を挽回することは出来ませんでした。
高森顕徹会に所属しているときに「今生、何も思い残すことはない」と聞いたらそれこそ尊敬と共にその理由を聞きたくなります。
嶋田さんの場合は、親鸞会の人をターゲットに「私の白道」、「あなたの白道」によって多くの人を阿弥陀様へ導かれました。
私もその中の一人です。本当に「私の白道」を読まなかったらと思うと怖ろしく思います。大変な恩人です。
今も読んではいるが仏法を求める気にならない方や、今だ会を離れることが出来ない人が沢山おられることと思います。
一人でも多くの方が早く阿弥陀さまのもとに向かわれることを願ってやみません。
後生の一大事の解決を済まされた上での嶋田さんは、いつも自信一杯でした。
増井悟朗師を本当に尊敬され、浄土真宗の教義をいつも勉強されていました。私にもいろんな本や先生を教えてくださいました。
最後、病床でも分厚い六字釈の本を読んでおられたと聞きました。
一方で、高森顕徹会以外の方はどのように阿弥陀様とのご縁を結んでいるのか、それこそ千差万別です。個人的に思うのは阿弥陀様のなされるやりかたはそれこそ億差兆別で、私に理解できる方法とは限りません。むしろ「えーっ!!」と思う方法の方が多いかもしれません。
私は残念なことに高森顕徹会を経由しないと阿弥陀様とお遭いできない宿業を持っていたのでしょうが、世の中にはきっと沢山の方がいろいろな形で阿弥陀様とのご縁を結んでおられることでしょう。
そのことは西本願寺の出版している「大乗」などに沢山紹介されています。
それにつけても今の高森顕徹会長は、浄土真宗の教義からかけ離れたことばかり行っています。それに気付かれ一人でも多くの人を導いた嶋田さんの行動力には頭が下がります。これも嶋田さんの宿業かもしれません。
最初に「私の白道」を書いたとき、「誰かに殺されるかもしれない」と思ったそうです。それでも書かなければと思って書き上げたと聞きました。
求道中、身体の調子が悪い中、身体を引きずってご法座に参加された姿は一緒にいた人が見ていても悲壮だったそうです。そのかたは「今日、この人は死ぬな」と思ったくらいだったと言われていました。
実際、その日に迷いの根切れをされたと聞きました。
嶋田さんが、阿弥陀様に引きずられ「助けずにはおかない、必ず助ける」の御念力に押し出されたお陰で、南無阿弥陀仏が今の私まで届いているのです。
後生の解決は一人一人とは言われますが、先に行った者が後の者を導くように、大声で行くべき道を教えてくださいました。
西本願寺の中央仏教学院に学んで僧侶になることを夢見ておられたのに、それが実現せずに終わったことは少し残念に思いますが、後に続く者に沢山ご縁を与えたのは僧侶にならなくても非常に大きな仕事をされたと思います。
それこそ、思い残すことがない人生を生きられたと思います。
とにかく浄土真宗の今の時代のあだ花、高森顕徹会から一刻も早く抜け出して、阿弥陀様に遇っていただきたい、それが嶋田さんの願いでもあります。
今度は何処の世界でお会いすることが出来るか分かりませんが、嶋田さん、またお会いしましょう。ありがとうございました。