とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

ご縁とはなに?

今回、私は今の時代に生まれてきました。

過去のことは分かりません。未来も分かりません。

今のことしか分かりませんが、間違いなく今を生きています。

今のこの瞬間は二度と来ません。

なのに私は今のこの場所にどうしているのでしょう。

自分の存在がどうしてここにあるのか不思議です。

それをご縁と言われるのか、宿業と言われるのかどちらでもかまいませんが、

とにかく何かの縁で今、この瞬間、私はここにいます。

そして、私以外の人は同じ瞬間に別のところにいて別のことを考え行動しています。

そんなこと当たり前じゃん、と言われるかもしれませんが、どうして同じじゃ無いのか、同じことを同じ場所でしていたって良いんじゃないですか?

とにかく、皆さんとは別の次元に、言い換えれば私の世界に私は生きています。当然、皆さんは皆さん一人一人の世界に生きています。

そして、ほんの一握りの人たちと毎日接して生きています。

それが微妙に変化しながら新しい出会いがあります。

その中の一つに仏教との出会いがあります。

非常に希有な出会いだと思います。

どう考えても、この時代の今の瞬間、あるいは過去の瞬間においてご縁にはぐくまれて今になっていると思うのです。

成長と言えば成長ですし、経験と言えば経験を積み重ねた結果でしょう。

しかし、同じ環境で同時代に生まれながらも出会いは全く異なります。

そして、私が仏教を通して出会った人たちは私が仕事で一緒の人、あるいは近所の人たちとは出会っていません。

生きている世界が違うのです。

不思議に絡み合った世界なのにどうしても出会うことが無い人たちはたくさんいます。

ご縁を求めると言われますが、本当に求めることが出来るのでしょうか。

ご縁は向こうからやってくるような気がするのです。

どうしても自分の判断で選択しているような気がしません。

でも、自分の意思はあると言えばあるし、無いと言えば無い。

よく分からないのです。

縁は希なもの味なもの、と言われます。

良いご縁だけを頂きたいのですが、そういう訳にもいかないのでしょう。

南無阿弥陀仏とのご縁、自分に意思があるのかどうかは放っておいて進んで求めていきたいと思っております。

仏様の力かもしれませんけど。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏