とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

この世は平等でない

残念ながらこの世の中は全く平等ではありません。

美醜や賢愚、強弱貧富の差、更には長命短命、貴賤等々はどうしようもありません。

特に美醜に関しては瞬間的に各自が判断しますのでどうしようもありません。

いろいろ判断基準はありますが不思議なことに好き嫌いは別としてほとんどの人が美人と思う人は誰が見ても美人であり、そうで無い人はそうでは無いのです。

そういう能力(本能)が私達に共通してあると言うことは本当に不思議に思います。

他にも若い人は好きで年寄りは嫌いなのです。

ハッキリしています。

今はコロナでマスクがあり多少はごまかせますが、テレビやネットの世界ではマスクなしの映像です。

それに最近はやたら化粧品や美容に関するCMが多い気がします。

CMにもほとんど美しい男女しか出てきません。

世間でも美人は多少ア○ポ○タンでも許されますが、そうでないと優しくはされないのが顕著と思います。

特に女の人は大変だなと思います。

生まれたときから大きな差が付いてしまっているからです。

たとえ美人だとしてもそれで本当に幸せになるのかどうかは分かりませんが、少なくとも子供から少女時代は大変でしょう。

それは男でも同じだと思いますが、男はぶさいくでも力(体力や頭脳など)があれば何とかなりますが、女の人は力があったら避けられることが多くなるでしょう。

しかし、美しくなろうと自分の人生の多くの時間を割いても、なんともならないことは何ともなりません。

最後は整形に走って行く人もいます。

お釈迦様は心のきれいな人が本当に美しい人だと言われましたが、残念ながらお釈迦様のような人はほとんどいません。

表向きの多様性をどれだけ叫んでも差別は変わらないと思います。

人を差別することは、人間の自己防衛本能かもしれません。

口に出さないだけで皆思っていますし、そういう態度をするのでより陰湿になるのかもしれません。

関西のテレビで吉本新喜劇のように笑いにすることもそのうち出来なくなるかもしれません。※1

では、仏教ではどう言われているでしょう。

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『小業分別経』(しょうごうふんべつきょう)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第135経。『鸚鵡経』(おうむきょう)とも。

ある時、釈迦は、サーヴァッティー(舎衛城)のアナータピンディカ園(祇園精舎)に滞在していた。

そこに婆羅門トーデッヤの息子である青年スバが訪れ、釈迦に、人間に長命と短命、肥痩、美醜、強弱、貧富、貴卑、賢愚といった区別・優劣が生じる原因を問う。

「ゴータマよ、どのような因、縁で、人々には優劣が見られるのでしょうか?
ゴータマよ、(世の中には)短命な人が見られる一方で、長命な人が見られます。
多病な人が見られ、健康な人が見られます。
醜い人が見られ、美しい人が見られます。
無力な人が見られ、影響力のある人が見られます。
貧しい人が見られ、財の多い人が見られます。
低い家系の人が見られ、高い家系の人が見られます。
愚かな人が見られ、智慧のある人が見られます。

ゴータマよ、どのような因、縁で、人々には優劣が見られるのでしょうか?」

 

「青年(スバ)よ、衆生は、業を自分のものとし、業を相続し、業を胎とし、業を親族とし、業をよりどころとする。
業が衆生を分類し、優劣をつける。」

 

wikiより引文

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全てその人についた業(宿業とも言います)によるといわれています。

自分では分からない過去世の因縁によるのです。

残酷な話です。

「そんなこと知らない、誰も教えてくれない、どうして私はこんなに・・・・。」

「親ガチャ」という言葉が流行りました。

こんな親の元に生まれたからなんだと親のせいにします。

しかし、そんなことを言ったところで空しいだけです。

 

阿弥陀様のお慈悲は、たとえ天地がひっくり返っても変わりありません。

一人一人について離れません。

必ず救うと誓っていらっしゃります。

 

しかしです。

ここで美醜をなんとかしてくれる訳ではありません。

あくまで後生の一大事、生死出べき道をハッキリさせていただけるのです。

 

全くこの世の幸せ(煩悩)とは関係ないのです。

ここ(美醜など煩悩で悩んでいる方に)をどう折り合いを付けられるのか私には分かりませんが、そこには今生だけで後生永遠の問題については本当に小さな問題なのだということに気付いてもらうしかないのです。

後生こそ人生の大問題であるということです。

 

人生はあっという間です。

美しい人もすぐに老婆になります。

そこに拘るよりもこの無常の世の中に拘ってもらいたいのですが、煩悩は強力ですから。

 

一人一人のご縁とは言え電車に乗車したとき、きれいに化粧をして澄ましている人を見るたびに思ってしまいます。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

※1

吉本新喜劇などでは美醜を笑いの種にしています。

たとえば「ぶっさいくやなー」などと言われています。