とくよしみねの「なぜ生きる」

「私はなぜ生きるのか、何のために生まれてきたのか、どこに向かっているのか、そして、どう生きるべきなのか」これらの問題について仏教および浄土真宗を基に気ままに思いつくまま書きます。  mail:aim_in_life(アットマーク)hotmail.co.jp

新しい領解文?

領解文(原文)
もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。

たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。

この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。

このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。

本願寺釈法如(花押)

 

本書は、真宗教義を会得したままを口に出して陳述するように第8代宗主蓮如上人が作られたものとされ、山科本願寺落成の頃から読むようになったといわれている。
大谷派では『改悔文』とも称する。
内容は簡潔で、一般の人にも理解されるように平易に記されたものではあるが、当時の異安心や秘事法門に対して、浄土真宗の正義をあらわしたものである。
 第1の安心の段には、自力のこころを離れて阿弥陀如来の本願他力にすべてを託する、いわゆる捨自帰他の安心が示されている。
 第2の報謝の段には、信の一念に往生が定まるから、それ以後の念仏は報恩にほかならないという、いわゆる称名報恩の義が示されている。
したがって、この第1・第2の両段において、信心正因・称名報恩の宗義が領解されたことになる。
 第3の師徳の段には、上記の教えを教示し伝持された親鸞聖人や善知識の恩徳を謝すべきことが述べられている。
 第4の法度の段には、真宗念仏者の生活の心がまえが示され、『御文章』などに定められた「おきて」にしたがって生活すべきことが述べられている。
(wikiarcより)

本願寺新報 
2023年1月16日
・・・略・・・
浄土真宗では蓮如上人の時代から、自身のご法義の受けとめを表出するために『領解文』が用いられてきました。
そこには「信心正因・称名報恩」などご法義の肝要が、当時の一般の人々にも理解できるよう簡潔に、また平易な言葉で記されており、領解出言の果たす役割は、今日でも決して小さくありません。
しかしながら、時代の推移とともに、 『領解文』の理解における平易さという面が、徐々に希薄になってきたことも否めません。
したがって、これから先、この『領解文』の精神を受け継ぎつつ、念仏者として領解すべきことを正しく、わかりやすい言葉で表現し、またこれを拝読、唱和することでご法義の肝要が正確に伝わるような、いわゆる現代版の 「領解文」 というべきものが必要になってきます。
そこでこのたび、「浄土真宗のみ教え」に師徳への感謝の念を加え、ここに新しい「領解文」 (浄土真宗のみ教え)として示します。


 南無阿弥陀仏
「われにまかせよそのまま救すくう」の弥陀のよび声
私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ
「そのまま救すくう」が弥陀のよび声
ありがとうといただいて
この愚身(み)をまかす このままで
救い取られる自然の浄土
仏恩報謝のお念仏
これもひとえに宗祖親鸞聖人と
法灯を伝承された歴代宗主の
尊いお導きによるものです
み教えを依りどころに生きる者となり
少しずつ執われの心を離れます
生かされていることに感謝して
むさぼりいかりに流されず
穏やかな顔と優しい言葉
喜びも悲しみも分かち合い
日々に精一杯つとめます


 この新しい「領解文」 (浄土真宗のみ教え)を僧俗を問わず多くの方々に、 さまざまな機会で拝読、 唱和いただき、み教えの肝要が広く、また次の世代に確実に伝わることを切に願っております。
二〇二三年 令和五年一月十六日
龍谷門主 釋 専 如

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これは2021年4月15日に新門主がご親教として話されたお言葉が基本です。
浄土真宗のみ教え」(ご親教)です。
それに一文を加え、そのまま新しい領解文として使われています。

「なんでもありか?
本願寺さん、大丈夫?
信心ない人ばかりか。」

そう思われている人も多いと思います。
まあ、この言葉を聞いて本願寺に興味を持つ人が増えるような気はしません。
肯定するわけではありませんが、S会は人を引きつけるのは相当うまいと改めて思います。
また、肝心の後生の一大事がどこかへ行ってしまったのは非常に残念です。
ただ、改めて2021年4月15日のご親教を読んでみるとそこまでひどくはないなと思います。

そうは言っても現代人に宗教を伝えるのは骨が折れることです。

認めるつもりはありませんが、さんざん考えた結果が上記の文章になったのだなとは思います。

領解文は個人的には、原文が一番良いと思います。
きれいな文章だと思います。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏