2023年が始まろうがどうということもありませんが、人それぞれいろんな思いがあると思います。
とにかく今生きて新しい年を何事もなく迎えることができることは本当は奇跡に近いことなのに、そう思えない私のいかに知恵のないことか。
当たり前などないのに当たり前と思っていることが迷っている証拠です。
今更いうことでもないかもしれませんが、世界では戦争が続いてたくさんの人が亡くなっています。
それ以外にも迫害を受けて死んでいる人もたくさんいます。
幸いにも私は気楽にずーっとこの幸せが続くと思って暢気にお酒を飲みながら正月を過ごしています。
しかし、私が暢気に過ごしていようがいまいが阿弥陀様は関係ありません。
24時間、365日休みなく私に南無阿弥陀仏と働いてくださっています。
私が分かろうが分かるまいが関係ありません。
光明無量、寿命無量の南無阿弥陀仏です。
このお正月、元旦から3日間ご法話が真宗高田派では行われるそうです。
これを修正会といいます。
高田派から引用した内容は以下の通りです。
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修正会には必ず「繙御書(ひもときのごしょ)」が拝読されます。ひもとくとは巻物のひもをとくという意味です。1年の始めに拝聴する御書のことです。この御書は、第18世の圓遵上人(えんじゅんしょうにん)がお書きになりました。大変な長文です。年のはじめにあたって忘れてはならない仏法の要をわかりやすく説かれており、克明(こくめい)に求道(ぐどう)のこころを諭してくださっています。
その要旨を箇条書きにすると以下のようになります。
1、生者必滅(しょうじゃひつめつ)の道理。寿命は老少不定(ろうしょうふじょう)の世の中だから、新年を迎えて喜んでもいつの間にか夏がきて秋暮れて、また1年が経ってしまう。1日1日を無駄に過ごさぬよう。
2、身にしてはならぬこと、口に言ってはならぬこと、心で思ってはならぬことがある。因果応報(いんがおうほう)の業道(ごうどう)は、秤のように必ず重い方に牽くから身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を常に慎むこと。
3、 煩悩(ぼんのう)いっぱいのわれらは、他力念仏(たりきねんぶつ)の法に依らねば浄土往生(じょうどおうじょう)は不可能です。この道を誓われた阿弥陀仏(あみだぶつ)、この教えを伝承されたお釈迦さまと七高僧(しちこうそう)の広大な恩徳(おんどく)に報謝(ほうしゃ)せよ。
4、先ずは父母孝養(ぶもきょうよう)の心を第1とし、父母存生(ぶもぞんしょう)の日は孝順(きょうじゅん)を先とし、没後は法事を怠ることなく報恩(ほうおん)につとめよ。そして、六親眷属(ろくしんけんぞく)むつまじく、互いに信心をみがきなさい。
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仏法第一とは言え、やはり正月早々喧嘩したり争うことはやめて仲良くしましょうということを言われるのはそういう相談がお寺に多かったのかなと思います。
昔は同居が当たり前で嫁は姑に仕えるのが当然だったのでいろんな問題が沢山あったのでしょう。(時代を考えるとちょっと違いますね(^_^;))
今の時代は同居が少ないでしょうが嫁と姑は問題は相変わらず多いのでしょうね。
それより一番問題なのが3番の内容でしょう。
他力念仏一つを聞くことでしょう。
今年もお念仏を称えさせていただく一年になれば幸せです。